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第4回Java研修OB・OG懇親会 [プログラミング言語Java教育]

7月22日(土)に、第4回Java研修OB・OG会をHP本社8Fのカフェテリアで開催しました。今回は、Java研修修了生だけでなく、Go研修修了生および現在Java研修を受講している人達も対象とした拡大版でした。

第3回と同様に2部構成にしました。私も入れて技術セッションには45名が参加し、懇親会には42名が参加しました。

  第1部 15:00〜17:10 技術セッション
  第2部 17:10〜19:30 懇親会

技術セッションでは、まず、「Node.js 日本ユーザーグループ」の会長である古川陽介さんからNode.jsの話をしてもらいました。古川さんが使っているTwitterのプロフィールのアイコンが、Java研修の最終課題用に作成されたものであることを知りました。

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2件目は、修了生が3名働いているクラウド会計ソフトを提供しているfreeeを西出さんに紹介してもらいました。

freee.jpg

3件目は、GROOVE Xに勤めている荒木さん(Tour of Goの日本語サイトの運営者)からロボット関連の話をしてもらいました。

Atoto.jpg

4件目は、ホンダのR&Dセンタ−Xに勤めている東さんから、ホンダおよびR&DセンターXの紹介をしてもらいました。

ここで、技術セッションの予定時間が過ぎたので、会場のカフェテリアでお酒を飲みながらの懇親会です。

懇親会.jpg

このカフェテリアは、TVドラマ「半沢直樹」の第6話で撮影に使われた場所でした。

半沢直樹.jpg

懇親会の途中で、私が「Java・Go研修を振り返って」と題した話をしました。

振り返り.jpg
この後、LTを2件と、場所を提供してくれたHPおよびDCX Technology社の紹介を加藤さんから行ってもらいました。

OG会.png

Java研修を始めた2000年の頃は、私は40歳であり、受講生との年齢差も15歳程度でした。17年が経過し、最近では、受講生の父親と同じか年上という状況になっています。

この17年間で、正確な数字はないのですが、Java研修およびGo研修で、200名以上の修了生を送り出し、さまざまな企業で活躍しています。そして、私事ですが、8月31日付けで株式会社リコーを退職し、9月から新たな会社で働き始める予定です。


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clibと呼ばれるライブラリー開発の思い出(1) [clib]

2000年にclibと呼ばれるC++用のライブラリーを開発しました。それは、今でも富士ゼロックスのデジタル複合機で1000万行を超えるコントローラソフトウェア(*)と呼ばれる制御ソフトウェアで使われているライブラリです。メモリ管理機構とマルチスレッドプログラミング機構を統合したようなC++のライブラリです。
(*)http://www.atmarkit.co.jp/ait/articles/1507/06/news009.html

clibは、私がそのAPI仕様をすべて設計し、実装は他の優秀なエンジニア2名に行ってもらいました。API仕様には、防御的プログラミングも含めて、メモリ管理機構での細かな動作仕様も書いていました。

このライブラリに関して、忘れないうちに一連のブログ記事として書きたいと思います。しかし、記憶は嘘をつきます。したがって、事実とは異なった私の記憶の嘘が含まれているかもしれません。

Fuji Xerox DocuStation IM 200/AS 200の開発

時代は、1991年1月17日まで遡ります。その日、私はXerox社のPARC(Palo Alto Research Center)にいました。米国に駐在していましたが米国内で転勤することになり、新たに従事するPARCのプロジェクトの話を聞くためにLAから出張していました。その日は、湾岸戦争が勃発し、PARCの廊下で戦争が始まったと伝えられたことを鮮明に覚えています。

そのプロジェクトは、PARCではPageMillプロジェクトと呼ばれていました。富士ゼロックス社からの駐在員は私一人でした。2年間、米国でそのプロジェクトに従事したあと、製品化のために1993年5月に日本に帰国しました。4年半の米国駐在を終えて富士ゼロックスへ戻り、PageMillプロジェクトの技術の製品化を行うDS企画開発室に配属になりました。

当時、富士ゼロックスはワークステーション事業から撤退を決めており、その開発室にはそれまでワークステーションを開発していた優秀なソフトウェアエンジニアが集められていました。それでもほとんどが私と同じ歳か一つ下ぐらいでしたので、30代前半のソフトウェアエンジニアが集められていました。

この製品化プロジェクトで特徴的だったのは、以下の通りです。
  • 集められたソフトウェアエンジニアは、私も含めて誰一人としてデジタル複合機の開発に従事したことがありませんでした。
  • CPUにはSPARC、オペレーティングシステムはSolaris 2.3という構成でした。
  • 私を含めて全員が、初めてのマルチスレッドプログラミングでした。
  • 誰もほとんど使ったことがないC++で開発することが決まっていました。
この開発では、さまざまな問題に直面し、都度解決していきました。

C++での開発

C++で開発することが決まっていたのですが、当時、C++を学べば学ぶほど困ったなと思っていました。それは、APIを設計するときに、ヘッダーファイルに実装の詳細を記述しない方法がないように思えたからです。実際には、ある書き方を考え出しました。その書き方の詳細については、「API設計の基礎」に書いていますので、参考にしてください。

ビッグバンインテグレーション

継続的インテグレーションという言葉がない時代でしたので、ビッグバンインテグレーションを行っていました。しかし、2週間ごとのインテグレーションは必ず失敗するという状況でした。この問題に対処するために導入したのは、夜間ビルドです。つまり、毎晩自動ですべてをビルドするということです。毎晩ビルドが成功するようになるまでは、数週間を要しました。

当時、ビルドはかなり時間を要していました。そして、夜間ビルドが毎晩成功するわけではありませんでした。毎朝7時過ぎに出社後は、夜間ビルドが失敗していたら、原因を修正して、ビルドをやり直すということを行っていました。また、複数のワークステーションを駆使して行う分散ビルドも自分で開発したツールで行っていました。

メモリ破壊とメモリリーク

開発がある程度進んで、最も大きな問題となったのは、「メモリ破壊」と「メモリリーク」です。コピーができるようになっても、1ページのコピー動作ごとにメモリが2MBもリークしていたのです。

当時、purifyが登場していましたが、ほとんど使えませんでした。マルチスレッドでは正しく動作しなかったの、purifyを使用すると動作が恐ろしく遅くなるため、普段の開発では使えませんでした。

この時、問題を解決するには、メモリ管理を自分で行う必要があると私は判断しました。そして、C++のnew演算子とdelete演算子を独自に実装し、メモリ破壊やメモリリークを検出する機構を入れ、問題を解決することにしました。

(つづく)


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